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最初は東京が震源かと思いました。
あれよりも大きな震度の地域があるとは想像もしなかったのです。
しかし、テレビに映った宮城県の惨状。地震に伴う津波注意報が出るたびに、「どうせちょっと大きな波が来る程度でしょ」と舐めていた自分を恥じます。
写真は、地震直後に火災が起きたお台場のテレコムセンターの煙を品川駅周辺から見たところです。
関東ではすべての鉄道が発災直後からストップしました。
結局JR東日本は早々に当日の終日全面運休を決定。
ワタクシが通勤に利用している京急も復旧のめどが立たないまま、夜になりました。
これは泊まりかと覚悟したのですが、なんと品川発着の鉄道では唯一、東海道新幹線が運転再開というニュースが入ってきました。JR東海えらい!
ちなみに、ワタクシが住んでいる横浜市の上大岡まで、品川からだと36km、新横浜からだと18km。
18kmならば、うまくすれば日付が変わる前に帰れる可能性もあります。
磯子区に住む同僚と、品川脱出作戦を敢行することにしました。
新幹線の券売機は長蛇の列で、切符を買うだけでも1時間という状況でしたが、ワタクシと同僚はEX-ICカードというチケットレス&ネット購入のICカード型乗車券を持っているので、改札はスルー。
こだまを1本やり過ごして、次ののぞみに乗りました(小田原や三島に帰る人はこだまじゃないと止まらないけど、新横浜はのぞみも止まるからです。だったら新横浜に行く人はこだまの利用は控えるべきでしょう)。
新幹線は1時間半遅れ&速度は在来線並みなので、新横浜まで20分くらいかかりました。
そして21時くらいに帰宅ウォーキングスタートです。
終盤は足が痛くてペースダウン、日付はちょっとまたいでしまいましたが、3時間あまりで新横浜〜上大岡を歩き切りました。
家族もみんな揃ってましたし、ホントに帰り着いてよかったと思いました。
帰宅難民になる日がこんなにも早くやってきたことを教訓に、今後はきちんとした防災体制をとろうと思います。
左は、これから何が起きるかも知らずにお昼に食べた弁当。
右は勤務先の後輩がいち早く確保してくれた弁当。18時くらいに食べました。
スーパーやコンビニからは食糧が消えましたから、後輩の判断は正しかったということです。
おかげで、家まで歩くエネルギーが切れることもありませんでした。