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Cavingね。洞窟探検、である。
30代の頃は、鍾乳洞とか好きで、ケイビングもチャレンジするチャンスをうかがっていたのだが、機会に恵まれなかった。で、衰えが隠せない今になって巡ってくるとは。
5時起き。洞窟のある現地は山奥なのだ。
場所は、岐阜県関市洞山。合併前は洞山村という、洞窟のためにあるような地名である。道の駅、ラステンほらどでガイドさんと待ち合わせて、さらに山の中に入っていく。
ロッジで、フリース上下とつなぎに着替え、ヘッドランプ付きのヘルメットをかぶり、軍手着用。靴は「泥だらけになるので、捨ててもいい靴を持ってきてください」と言われていたので、先日浜松のジャスコで買った1000円のアクアソックスに履き替える。
洞窟の名前は「珊瑚洞」という。ハワイあたりで生まれた地層が長い年月をかけてプレートの移動とともに現在の場所に来たものらしく、洞窟としても50万年ほど経っているという。
洞窟の入口ってなんてものじゃなく、山肌のヒビ、裂け目という感じのところから洞内へ。こりゃ、先が思いやられるぞ。
とにかく、まともに立っていられる場所なんていくらもなく、進むためには良くて中腰。ちょっと狭いところだと四つん這いかほふく前進。ほとんど足場のない斜面をよじ登ったり、石灰岩と粘土の坂を滑り降りたり。2足歩行動物であることを忘れそう。
これはましな方
洞内の池には、暗闇で目が退化した体長5mmほどのメクラエビの仲間もいる(使っていいのかこの名詞)。とにかく観光洞ではないから照明設備なんてのも一切なし。写真で見るとストロボの光で薄暗がり程度に見えるけど、実際にはヘッドライトや懐中電灯の光しかない闇の世界。時計もおいてきたので、どのくらい時間が経ったのかすらわからない。
で、やっと今回のクライマックスとも言える地底湖に到着。水温は13度くらいらしい。地底湖といっても、見えている部分は池のようだが、これも奥にどれだけ続いていることか。
透明度が高いから光が深いところまで届く
柄杓で汲んだ水を飲ませてもらったが、これが甘くておいしい!
残りは行程の約4分の1くらいとか。まるまる引き返すのは正直しんどいと思っていたが、出口は別にあるんだな。
で、やっと地上に戻ってきた。いや、そんなに深い所に行ったわけじゃないんだろうけど、気持ち的には「地底からの帰還」なのである。
洞内にいたのは、どうやら2時間くらいだったみたいだ。
蝉の声が大きく聞こえる。
脱いだつなぎは各自近くの川で岡山県の奥津温泉の風物よろしく足踏み洗濯。この川がまたきれいな水。今回限りかと思ったアクアソックスも、あらかた汚れが落ちた。ズック素材だと泥が染みてしまうんだろうが、ナイロンだと汚れが落ちやすいのかも。いずれにしてもこれはまだ使えるな。一方、靴下はダメだな。どこかで捨てよう。これを見越して、健康診断でもらった綿の靴下を持ってきたのであるが。
さて、まだ痛いのは膝小僧くらいのものだが、おそらく、明日は全身筋肉痛。腕や肩が張ってきているのがわかる。
間違いなく、この10年で一番ハードな取材だった。
岐阜駅で桃ちゃんと別れ、汽笛亭で冷しニシンそば〈650円〉を食べて、名古屋に向かう。
帰りに乗った。乗客として、走っているN700は初めて。混んでた。それが出張+夏休みのせいなのか、N700故なのかは不明だが。
カーブでもスピードを落とさずに270km/hで通過するにもかかわらず乗り心地が悪化しない、というのを体感するには、浜松駅を通過する時がわかりやすいのだが、早起きと疲れで三河安城を通過するくらいから寝てしまい、起きたら新富士。やれやれ。
でも、新横浜で降りる前に、デッキが静かになったのは実感できた。デッキ以外でも、全般的に700系より静かな印象。