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毎年、この時期になると年賀状を辞退する内容のお便りを何枚かいただきます。年齢とともに、確実に増えていくのですが。昔は家族などに不幸があったからというのが多かったのですが、徐々にお付き合いのある本人に関するお便りも混じるようになってきました。
今日届いた1枚は、そんな1枚でした。
ワタクシが最初に勤めた出版社で知り合った、17歳年上のカメラマン。今年の2月に70歳で他界されていたことを、奥様から届いた「喪中欠礼」の葉書で初めて知りました。もう20年近くもお会いしていなくて、年賀状のやり取りだけでしたが、まだまだお元気だとばかり。胃癌だったそうです。
ワタクシの入社当時は出版社の嘱託だった彼——仮に寅さんとしましょう。入社後半年ほどで毎号の特集を担当することになったワタクシは、寅さんとコンビで取材旅行に出かけることも多く、そこでさまざまなことを教わりました。自分でも写真を撮らなくてはいけない仕事でしたので、カメラと撮影の基礎は、寅さんに教わったようなものです。
てきぱきと手際の良い寅さんの撮影は、傍で見ていても気持ちよく、何度も助けてもらいました。
ある時——どこかの紅葉の撮影だったと思いますが、三脚なしという状況でしたが露光が足りない。その時寅さんは頭の上にカメラを置き、シャッターを押し始めました。
「三脚なんてのはね、便利だけどないから撮れないってもんじゃないのよ」
その時の言葉と姿は、いまでもワタクシの脳裏に強く焼き付いています。
「この人は本物だ」——そう思った瞬間でした。
特に印象に残っているのは、すでに嘱託を解かれた寅さんと、出版社を退職してフリーになったワタクシとが組んで久しぶりに行った1週間の取材旅行。富山県の寿司屋めぐりでした。取材の足は、ワタクシのクルマ。カペラセダンの4WDでした。
日によっては朝食から夜食まで4食寿司という、信じられないようなスケジュールでしたが、楽しい時間でもありました。
時期もちょうど今時分の12月で、黒部で取材日程を終え、北陸道で帰途に就いた時には小雪がちらついていました。雪は徐々に本降りとなり、高速道路にも積もり始めました。ワタクシはスタッドレスタイヤを履いてたので走行には支障ありませんでしたが、周囲のクルマはほとんど夏タイヤで、スリップしたり立ち往生するクルマも出始めました。
関越道に入った時には完全な雪道。除雪車に行く手を阻まれ、低速での運転を強いられたため、関越トンネルを出るころには深夜になっていました。
寅さんの自宅がある八王子に着いたのは3時くらい。そこで並走していたアウディ80か90が変にカペラを意識してシグナルGPを仕掛けた挙句に中央分離帯に乗り上げて自滅したのもこの夜でした。
そんな思い出が次々とよみがえり、今夜はちょっとしんみりとしてしまいました。
寅さんのご冥福をお祈りします。そして、近年の不義理をお詫びします。
東京駅まで出かけたので、昼食は東京ラーメンストリートの「七彩」で特製喜多方ラーメンにしました。
ちょっと高いかな。坂内・小法師に行けば、チャーシューどっさりでももっと安いし、普通においしいし。