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2005-12-12-Mon 子供を預けるということ [長年日記]

_ 塾の講師って

一部の職人を除けば、教師のなりそこないとか、免職になった教師とか、そういう輩がかなり紛れ込んでいるのではないかと推察する。

大学で教職課程をとっても教員にならない人はたくさんいるし、なろうとしても「不適格」な人材もいるだろう。

教諭や教師を無条件に信頼はしていないが、国家試験やらなんやらでいちおうの篩にはかけられている。その篩の目が細かいか粗いかはともかくとして。

ところが塾講師となると、ほとんどコンビニのバイトと採用方式は変わらない。いちばん大事なのが学歴ということくらいだろうか。

採用者の無能振りには呆れるばかりだ。写真を見る限り、ヲタク系の偏屈者ってわかるはずだが。採用する側も社会勉強が足りてないとしか考えられない。自分も同類とか。

小学生を殺したガキはもちろん死刑相当だが、こんなものを採用した塾「会社」もかなり罪は重い。なんと上場までしていたようで、ストップ安は当然。このまま潰れるほうが、その他の腐れ塾にも教訓になるだろう。

子供や親を食い物にしている業界だから、殺人に至らない犯罪は、いくらでもあるはずだ。性犯罪とか。

教育を仕事にするのに、なぜ教職に就いていないのか。塾に子供を通わせる親は、よく考えたほうがいい。公立の教師よりも報酬がいいから、という理由はもちろんありだろう。報酬に見合った仕事をすれば、の話だが。

学校の勉強以上のクイズのような受験問題など、出題する学校の良識を疑う。受験塾で答の近道など教えてもらっても、頭などよくならないのである。

答を見つける力こそが必要。教育の場というのは、答を教えるより、それが正解でなくても多くの可能性をイメージできる力と、そこから答を見つける力をつけるためにあるのではないか。

テクニックだけの塾には、魂がない。学歴馬鹿が増えるだけ。少なくとも、ワタクシの食い扶持の業界では使い物にならないね。

馬鹿が馬鹿を採用して馬鹿を育てて馬鹿になる。この連鎖はどこで断ち切れるのだろう。


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