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昨日の夜から「さいごの戦い」を読み始め、今日の午後、トレリートの筋トレをしながら読み終わってしまった。
で、せっかく全話を読了したので、雑感など。
今回はナルニアの時系列に沿って(それが作者の意向とも聞くので)読んだが、聖書になぞらえたともいう全体の構成、世界観は、改めて感心する。それゆえか、全体に冒頭部分に「過ち」が描かれているので、エンターテインメントとしての運び方はおっとりしていて現代的ではないだろう。ぶっちゃけた話、導入部にかったるい話が多い。その代わり、後半部分のテンポや展開は胸がすく感じで、加速的に話が進む感じなのは7話とも共通するところだ。
さて、これを映画にするという話については、どう考えても、表面的な冒険活劇に終わりそうな予感がする。イギリスで映画化するというならまた違うだろうが、アメリカ、しかもディズニーとくれば、テーマもへったくれもない娯楽オンリーの作品になることは目に見えている。
イギリス文学をアメリカが映画化してろくなものになったことがない。エディー・マーフィーの「ドリトル先生」など見たくもない(けっしてエディー・マーフィーが嫌いなわけではない。むしろファンである。「48時間」とか「ビバリーヒルズコップ」とか「星の王子ニューヨークに行く」とか)。
願わくば、「くまのパディントン」をハリウッドがつまらない映画にしないことを祈るばかりである。あれは、絶対にアメリカの風土に合わないから。それは、「ポッパーさんのペンギン」についても同様である。
してみると、「ドリトル先生」「パディントン」などの童話はもちろん、ホームズなどの文学や、「サンダーバード」「謎の円盤UFO」といったITC作品をはじめとするイギリスのTVドラマなど、現代に比べるとワタクシの少年時代はイギリスとのかかわりが大きかったのだと思う。
何年ぶりの万国博覧会か知らないが、まずは偏りのない外交と交流、って意識がないと金の無駄遣いでしょ。横浜でフランス映画祭も行われている折り、日本の国際化の空虚さに気づいたりする。